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5歳で作曲とか人生2周目?!モーツァルトの父もスゴかった?!

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クラシックを聞くと、どうしても眠たくなってしまっていた私ですが・・・、長女がピアノを始めたあたりから、何となく「クラシックもいいな~」と思うようになりました。

クラシックといえば、思いつく作曲家・・・ベートー・ヴェン、バッハ、モーツァルト。どの人も昔音楽室の壁に肖像画が貼られていましたね(^^)
その有名な作曲家の中でも、私が特に興味を引いた人がいます。
それは、モーツァルトです。
なぜ、モーツァルトなのか? それを今から書かせてもらおうと思います。

モーツァルトと父

モーツァルトは1756年1月27日にザルツブルクで生まれました。
お父さんの、レオポルド・モーツァルトは、元々は哲学や歴史を学ぶために大学に通っていたのですが、途中から音楽家に転じたという経歴の持ち主で、ザルツブルクの宮廷作曲家でヴァイオリニストでもありました。

3歳の時からチェンバロを弾き始め、5歳のとき最初の作曲

お母さんは、アンナ・マリー・ベルトルで、その二人の七番目の末っ子としてモーツァルトは生まれました。兄弟のうち5人は幼児期に死亡し、唯一、5歳年上の姉、マリーア・アンナだけがいたそうです。

モーツァルトのお父さんは、モーツァルトが天才であることを見出し、幼少時から音楽教育をさせていたようです。なのでモーツァルトは3歳の時からチェンバロを弾き始め、5歳のときには最初の作曲を行ったのです。

5歳ですよ?! 我が家にも5歳児がおりますが、そのような天才肌の様子は微塵も見えておりません(笑)
これこそが、私がモーツァルトに興味を持った理由なのです!
我が家の5歳児にも、天才になれる様な気質はないものかと・・・。

モーツァルトお父さんの協力がスゴい。

モーツァルトの処女作は「ナンネルルの楽譜帳」に記されています。このナンネルルの楽譜帳はモーツアルトのお父さんが、モーツアルトの姉のために手書きした教則本であったのだそうです。
モーツァルトも4歳の頃から、この楽譜帳を使ってレッスンを受けていたようで、5歳になるとその楽譜帳の余白の部分に作曲したものを書き留めるようになったそうです。

クラヴィーアのための小品の中の「K1e、f」と「K5a、5b」の4曲をモーツァルト自身が記したとされています。
作曲って、ものすごいことですよね??
5歳の子どもがそれをやってのけるのだから、やはり、モーツァルトは天才だったのですね。
そして、それを見出したお父さんもすごい!!

そして、
モーツァルトはお父さんとともに音楽家としてザルツブルク大司教 ヒエロニュムス・コロレド伯の宮殿で仕えながら、何度も、ウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地に大旅行を行ったそうです。これは神童(モーツァルト)の演奏を行ったり、より良い就職先を見つけるためだったそうです。

そりゃあそうですよね。5歳の天才時、自慢したくないわけがない!!
私なら、がんがん自慢する(笑)

モーツァルトの逸話として残っている話。

1762年1月にミュンヘンへ、9月にウィーンへ旅行したのち、10月13日、シェーンブルグ宮殿でマリア・テレジアの御前で演奏した時の話です。

宮殿の床で滑って転んでしまった6歳のモーツァルト。その時、手を貸し、彼を起こしてくれた7歳の皇女マリア・アントーニア(後のマリー・アントワネット)に「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言っちゃったそうです。
7歳の時にフランクフルトで演奏をした際に、作家のゲーテがその話を聞いて「モーツァルトのレベルは絵画でのラファエロ、文学のシェイクスピアに匹敵すると思った」といわせたほどだそうです(><)

さすが、モーツァルト。逸話もすごい!!!

まとめ

・モーツァルトの才能を見出したのは、お父さん!
・お父さんは、モーツァルトのために幼少期から英才教育を施した。
・その結果、5歳で作曲ができるような神童となった。
・6歳でマリー・アントワネットにプロポーズをしてしまうほど早熟の天才児だった。

まぁ、何にせよ私が一番すごいと思うのは息子の才能を見出したお父さん。
そして、その才能を伸ばすために力を注いだ、やっぱり、お父さん(笑)
モーツァルトほどまで行かなくても、我が子の才能を見つけて、誉めて、伸ばしてあげることができる親でありたいな~と思いました。

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